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読書メモと雑記

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない

■著者: 桜庭一樹 角川文庫/平成24年5月20日発行 9版

■読了日:2017年9月20日 

■所要時間:約1時間30分

 

 

 

さっくりあらすじ

9月のはじめ、漁港沿いの田舎町で事件は起きた。

夏休み明けの教室は停滞した空気を漂わせていた。そこに突如姿をあらわしたのは、不思議な雰囲気をまとった美少女だった。

彼女の名前は海野藻屑。都会から転校してきた女の子だ。みずからを人魚と称して、ミネラルウォーターを常に飲んでいた。肌は青白く、おおきな瞳をもつ彼女は、夢見がちな妄想、砂糖菓子の弾丸(と、主人公が称している。現実的でない、ロマンチックな話を軽蔑してそう呼ぶ)の世界を語る。

主人公である「あたし」こと山田なぎさは、幼いころに父親をなくし、母親と「引きこもり」の兄の三人暮らしをしている。現実主義をモットーに、一歩引いた目線で周囲を観察するような女の子だ。

そんな二人が少しずつ仲良くなっていった頃、「あたし」はスーパーである光景を目にする。そこで藻屑の不幸を垣間見た「あたし」は、その後も様々な問題と直面することになる。

ある日、些細な言い合いから発展して、藻屑はとある衝撃的な告白をする。

普段から嘘や妄想をさも事実のように語る彼女に辟易していた「あたし」は、真実をたしかめるために、彼女とともに蜷山の山奥へと向かったのだった。

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「好きって絶望だよね」

 

これは、不幸なふたりの話。おとなになれなかったこどもと、これから大人になるしかない女の子の不幸で幸せな話だった。

 

◆ ◆ ◆

 

 

■どうでもいい雑記

「田舎は閉鎖的な空間である。」

この点に関して、良くも悪くも田舎育ちである私は「間違いない」と断言できる。ただし、だからといって都会が開放的といえるわけではない。結局、閉じられた空間というのはどこにでもあり、それが例えば家庭であって、会社であって、地域であって、集落であって。それだけなのだ。

田舎町は中心部に街があって、それを囲むように田んぼだったり、畑だったり、家があったりする。それが広大な土地を囲む閉鎖的空間となって、そこで世界が完結する。

「水がおいしいから水道水を飲む」習慣がある地域では、それは「常識」だ。都会から越してきた人がわざわざミネラルウォーターを買って飲む姿を奇妙と感じるだろう。

しかし、その違和感の積み重ねを指摘した瞬間に「排他」となる。

そして、異なる文化の「多数派」に放り込まれた「元・多数派」の少数派は実際よりもずっと肩身の狭い思いをすることになる。

今回のお話では、田舎に訪れたTHE都会人、ある意味では別の世界の人間とも言える彼らを噂の的にして、異邦人としてあつかう。都会の人だから少しずれている、事情があるらしいから仕方がないと、目をそらされている。本当の問題はそこではないのに。

 

 

 

 

■ここからネタバレと感想

 

全てが終わってから、この話がはじまる。

はじめてこの本を開いた瞬間、私達がこれから体験すべき物語の、なにもかもすべてがおわっていた。

十月三日、十三歳の女の子の身に起こったこと。少女の名字は海野。これから推理小説が始まるものだと勝手に思い込んでいた。そんなワケがなかった。

 都会からやってきた転校生は電波少女だった。

 実のところ、2ページめを読み始めてすぐに「合わない」と思ってしまった。というのも、主人公の一人称視点があまりにも主人公本人のくだけた語り口だったからだ。とはいえ、せっかく紹介してくれた一作なのだから、もう少し読み進めてみようとページをめくった。

私はまんまと中学生になり、主人公である「あたし」こと山田なぎさと同じ視界をもつはめになる。この小説は、一度読者が中学生になる必要があるのだ。

 

■どんよりとした曇り空の田舎町に、一人の風変わりな美少女が転校してきた。

教室では、とある不気味な噂話が飛び交っていた。

転校生が教室に入ると、どこかずれているような、それでいて実に中学生らしい、奇妙な自己紹介が始まる。

「ぼくはですね、人魚なんです」

主人公である山田なぎさは転校生に興味がなかった。

嘘や奇妙な言動を繰り返す彼女には「実弾」が装填されていないのだそうだ。

実弾というのは実際の弾丸を指すわけではなく、人を観察するときに感じるなぎさ独自の表現方法で、現実世界を生きるために必要な素養のことらしい。

 

転校生の藻屑は、彼女を囃し立てる他のクラスメイトの誰でもなく、自分に興味を示さなかったなぎさに向かって「死んじゃえ」とのたまうのだった。

 

本人が口を開く前に噂話が広まっているという嫌な感覚も、おかしな名前について眉をひそめることもなぎさは「普通」だと思っている。

不快感を覚えるべき箇所をなんでもないようにさらっと描写していて、違和感を抱きつつも普通のこととして読み流しそうになったのが印象的だった。

想像するとかなり不快な状況だよなー。と思う。

山田なぎさについて

山田なぎさは不幸な身の上を持った中学生の女の子だ。

友人には冷めたやつと評されている。

幼いころに父親をなくし、兄もいつからか引きこもりになって、現在は公営住宅で母親と三人ぐらしをしている。自分の部屋を与えられず、学校から帰るとパートタイムの母親に代わり家事をこなす。どこか浮世離れした、博識で美しい容姿の兄を慕っており、彼の世話も担っている。

中学を卒業してすぐ自衛官になることを決意し、貧窮の中ひとり立ちを目指していた。

もちろん、状況を鑑みた時に短絡的としか思えない判断だが、なぎさはそれが一番”正しく現実を直視している”とおもっていた。

そんななぎさは、「不幸な境遇に負けない自分」を演じていて、そんな自分をけっこう気に入っている。周りのクラスメイトを評する時は、何も考えていないだとか、幸せな奴だとか、浮ついた言動に対して見下しているきらいがあるように感じた。なぎさは、はやくおとなになりたかったのだ。

だからこそ、中学生にありがちな妄想や、哲学的な話などを聞くと、それを兄の受け売りである<砂糖菓子の弾丸 >と呼び、鼻で笑っていた。羨ましいなんてひとかけらも思っていないそぶりは、とてもリアルだ。

私は、なぎさは間違いなく子どもの精神性と狭い視野をもった、ごく普通の中学生女子だと思う。

 

■山田なぎさは飼育委員

作中に何度か出てきた言葉だ。なぎさは飼育委員として学校で飼っているうさぎの世話をしている。小屋に囲われたうさぎに黙々とえさをやる。掃除もなぎさの担当だ。

ここで思い出してほしいのは、山田なぎさは家でも同じような役割を担っていることだ。自分がいることで生かされているもの。なぎさは頼られることで自分の居場所を見出しているのではないだろうか。うさぎ自体への強い執着は見られず、やはりここでも”世話を欠かさず行う自分”を見ているように思う。

 

海野藻屑について

 海野藻屑は虐待を受けていた。

殴打され、罵られ、それを「愛情表現」と教えられて育った。

作中で何度か悪辣な方法でなぎさの気をひこうとし、ときには罵倒する場面もある。それを「愛情表現」と称してはばからない理由は、本当にそう思っていたからだ。

なぎさはそれを「憎しみ」といった。藻屑は、受け入れがたい価値観をそこで手に入れたのではないだろうか。受け入れるかは別として。

虐待によって負った障害のことを、子どもたちは知らない。事情を知っている大人たちばかりが、はらはらと場外から観戦する。当事者は、いつもなにも知らないのだ。

事情を知らないうちに、相手の態度に対し反感を持った経験は誰でもあると思う。事情を知ったあとのバツの悪さや恥ずかしさから、さらに攻撃を加えてしまう人も稀にいるだろう。こどもならなおさら。

藻屑は嘘つきな自分に興味を示すクラスメイトには目もくれず、山田なぎさに執着した。なぎさは、きっと自分を見てくれる。そう思ったはずだ。

なぎさと藻屑は不幸な少女だった。虚構の世界に逃げる藻屑も、今の状況から抜け出したくて、現実世界であがくなぎさも、たかが13年生きただけの今の自分には何も出来ない。大人は自分を救ってはくれない。どこにもいけない。そんな絶望と無力感を共有していた。

藻屑は嘘つきだ。ほんとうのことを言う場面なんて殆ど無い。しかし、数度だけ話す”ほんとうのこと”は嘘だったらどんなによかったか、と思わせるモノばかりだ。人魚ではない時の「海野藻屑」は、いつだってほんとうのことを話す。(と、私は勝手に思っている)

藻屑は、おとなになりたかった。認められたかった。最後に選んだものが正しいかどうか、そんなことはきっとどうでも良かったのかもしれない。

 

 飼育小屋とバラバラ死体の話

なぎさと藻屑には、それぞれ大事にしている生き物がいた。それは飼い犬のポチであり、飼育小屋のうさぎだ。

ポチはすなわち藻屑であり、名前のないうさぎ達もまた、なぎさである。

藻屑は、逆上した父親の手によって愛犬が殺された。親子は死んでしまった犬を小さく刻むために、鉈を買い求める。ひとり取り残された藻屑は、犬を、そしてやがては自分の死体を細かく刻むためだけに鉈を探すのだ。なぎさが用途を聞いても、

「おとうさんが、バラバラ死体を作るのに、使う」

 と、答えるのだった。

 

■飼育小屋のうさぎを殺したのは

さて、ここで外せないのはウサギ小屋の惨劇は誰が犯人か、ということだ。

 この話を取り上げる前に結論を話すと、私は「本当の犯人がだれか」という点を本当には明らかにしていないことが(もちろん物語中では大きく取り上げられる事件ではあるのだが)重要であり、あらためて犯人探しをするのは無粋といえる。

それはともかくとして、今回の話題は「誰がうさぎを殺したか」ということである。

様々な意見はあると思うが、私はやはり藻屑が犯人ではないかと思っている。

順番に照らし合わせてみよう。

▼発見時の現場

花名島:血まみれのうさぎを手にしていた。他にも、侵入した証拠が見られる。

藻屑:姿はない。

犯行現場とも呼べるこの状況をもって犯人とされた花名島。しかし、本人たちの証言はあまりに食い違っていた。

▼動機

花名島:なし(あえて言うなら、物語中における二人の行動に対しての怒りがあるだろうが、限りなく薄い上に、犯行として回りくどさを感じる)

藻屑:あり。彼女は、なぎさの一番の親友になりたかった。しかし、なぎさの大事なものはほかにもあった。うさぎと、兄だ。飼育小屋にも度々訪れ、暗証番号すら把握していた。もちろん、その意味も。

▼カバンの中身

 花名島:時系列で考えると、およそ不可能。朝練に参加し、うさぎ小屋へ足を運ぶ。仮に花名島が犯人だとしたら、うさぎの首を教室にあるであろう藻屑の鞄に気づかれずに忍び込ませたあと、もう一度戻って呆然とする必要があっただろうか。仮に、なぎさと教室に戻ったあとに鞄へ入れるとしても、その頃にはもう花名島の周りに人の目があり、ほどなくして彼自身も指導室へ呼び出されるのだ。一体いつ、忍び込ませたのか。

藻屑:藻屑は、ふだんならギリギリに登校するはずが、今日ばかりは早朝に登校していた。暗証番号に隠された秘密を暴いたのは前日の放課後である。走れないハンデを考えたとしても、時間的に余裕がある。では、なぜわざわざ鞄に忍び込ませていたのだろうか?これは推測でしかないが、藻屑は、もしかしたらなぎさにだけは自分の罪を知ってほしかったのではないだろうか。

 

なぎさは、ついぞ鞄の中身について口外しなかった。その後に起きた事件によって、できなかったと言ってもいい。

とにかく、うさぎ小屋の一件から花名島という存在がなぎさの中で変化し、また彼自身も倒錯的な暴力に傾倒していった。藻屑はそこで、暴力が愛を孕むものではないことを実感したのではないだろうか。

 

 読者が神からなぎさになる話

 ここで、冒頭に少し触れていた「視点」についての話をしようと思う。

私たちは、最初は神の視点でこの本を読み始めることになる。ページを開いてすぐに、この物語の終わりを知ってしまうからだ。今後、ページをめくるたびに読者は頭の片隅に彼女らの迎えた結末を連想してしまう。その目線で読み進めると、突然意識がなぎさに持っていかれるシーンが訪れる。情景描写が緻密で、田舎の風景が目の前に広がるのだ。中学生目線で見た町並みを、ずっと眺め続ける。すると、私もいつのまにか中学生に戻っているという寸法だ。誰でも通った青春の匂いに当てられてしまうのだ。

私は何度もなぎさと神を行き来し、胸が押しつぶされる感覚を味わう羽目になる。

兄・友彦について

私は友彦が好きだ。柔らかな長髪に、儚く揺れる美しい瞳。穏やかで、俗世から離れた知識人。引きこもりというネガティブな言葉が似合わないような優雅さで口元に微笑みをたたえ、なぎさを導く。

作中で言及されていたが、彼は「神の視点」をもつ唯一のキャラクターで、読者の代弁者としてそこにいる。そして、なぎさの心の拠り所にもなっている。

そんな彼も昔は普通の男の子で、人間だった。幼いころ、ショッピングセンターで迷子になったなぎさを、なりふり構わずに助けに来てくれた頼もしいお兄ちゃん。

変わってしまった友彦は、きっとそんなことはもうしてくれない。なぎさはそんなことを言っていたが、そんなことはない。強い決意とともに神性を捨ててなぎさのために走る友彦は、耽美でも儚くもなかったが、私はそれがいちばん美しいと思った。

 

◆ ◆ ◆

 

ネタバレおわり!